ここはステージではない
最近SNSなどでよく見かける電車内での爆音や観光地での突発的なダンス…
多くの人が

「ここはステージじゃない!」
「迷惑外国人!」
「マナーを守れ!」
と憤りを感じています。
公共の場は、皆が安心して共有できる場。そこを私的な舞台にしてしまう行為は、
日本人の大切にする「和」と「思いやり」の精神を踏みにじるものにも映ります。
今回は「迷惑外国人」と呼ばれる人達がなぜ、そのようなパフォーマンス地味だことをするのか。その心理を読み取っていきます。
「見られる=生きている」承認欲求
彼らの行動は「承認欲求」の表れがその多くを占めています。
SNS全盛の今、他者の注目は「自分の存在」を確認する手段になっています。
人前で歌い、踊ることは、彼らにとって「見られる=生きている」という実感なのです。
しかし、それが他人の平穏や安心を壊してまでするべきことではないというのが、日本のいわゆる「常識」というやつです。
摩擦の原因は「常識の違い」
文化によっては「自由な自己表現」は当然であっても、
日本では「場の空気を読む」「人に迷惑をかけない」ことが重視されます。
一方、欧米等では「自己表現」や「自由な表現」が優先されがちです。
この文化的背景の違いが、価値観の衝突を生みます。
相手の行動が「理解不能」に見えるのは、育ってきた「常識」が異なるからです。
日本独自の公共マナーを「明確に伝え理解を得る」工夫が必要です。
発達心理学的に見る「未熟な自己形成」
こうした行動は、青年期〜若年成人期のアイデンティティの模索にも重なります。
発達心理学では、この時期は「自分とは何者か」を探し続ける時期になります。
アイデンティティとは…
「自分は何者か」という自己認識。性格、価値観、職業、所属集団などを通じて形成。
10代後半〜20代は特に模索が盛んな時期。不安定な時期は「目立つ行動」で自分を証明しようとすることもある。
十分に確立していないアイデンティティは「極端な表現」によって補おうとする傾向が見られます。
彼らが公共の場を「舞台」にしてしまうのは、内面の不安定さや自己の価値の低さを、外からの注目で埋めようとしている証かもしれません。
このことは外国人に限ったことではありません。
社会的アイデンティティ:集団の中の「自分」
さらに、社会的アイデンティティ理論の観点から見ると、彼らの行動は「グループの一員として目立つ」ことに意味があります。
社会的アイデンティティ理論とは…
「自分は○○の仲間だ」と感じることで、自己価値や行動が影響されるという理論です。人は所属集団を誇りに思い、他と比べて優位に立とうとします。
たとえば、外国人や特定のパフォーマー集団の一員として、自分のアイデンティティを強化しているのです。
「個」で行動しているように見えて「自分たちのグループ」を社会の中に刻み込もうとしているとも解釈できます。
理解は必要だが、正当化はしない
迷惑行為の奥にあるのは、文化のズレ、アイデンティティの未成熟、仲間としての所属欲求、自己を見てほしいという切実な願いがあるかもしれません…
「なぜそんなことを?」と感じた時こそ、心理学の視点が力を発揮します。
頭ごなしに否定するのではなく、まずは他者を理解する姿勢が必要です。
しかし
「やってはいけないことは、やってはいけない」
と明確に伝え、理解を促す必要があります。
非難や排除ではなく「ここではそれは通用しない」と冷静かつ明確に対応する。
それが秩序と多様性を両立させる鍵です。

相手を理解することは、自身の「怒り」や「憎悪」に巻き込まれにくくなり冷静さと心理的ゆとりを保ちやすくなります。
最後まで閲覧いただきありがとうございました!
コメント